交通ビジョンが大規模で長期にわたること
この記事のまとめ
長期、大規模事業は利権が入り組み、無駄予算の温床になるので避けるべき
長期事業は、社会の経年変化に対応できないので避けるべき
そもそも長期、広域事業にする必要があるのか疑問
長期事業が役所の想定どおりに進むことなどない
長期計画は時系列の制度変更、技術革新に対応できない
広範囲の経済区域を行政では抑制できない
結果、グダグダになり中抜き業者にいいようにされる未来が容易に想像できる
交通事情の類似エリアにおいて、その地元自治体が中心となり成長戦略を立てるべき
限られた事業範囲における、中・短期計画、最小予算で最新技術や社会の流れに即した事業展開の方が現実的
できる限りの規制緩和を行い、地域交通網が成長する「環境」をつくることが必要
滋賀県が掲げる交通ビジョンは、行政の行う公共事業にありがちな、きれいな内容でまとめられておりますが、このようなビジョンが行政の思惑どおりに実現し、思いどおりの効果を発揮することなど夢物語です。
それはこれまでの国の事業、地方公共団体の事業が無数に証明しております。
治水のために50年の歳月と5000億円をかけて竣工された八ッ場ダムは、その後の調査で、それをつくらずとも50倍の治水量が既存のダムで確保できることがわかりました。
当該ダムの当初予算は2100億円、なんと2.5倍に水膨れしており、今なお社会的非難を浴びています。
当初予算7000億円であった東京オリンピックは、最終的に3兆4000億円まで膨れ上がり、その度を越した中抜き、無駄遣いに逮捕者まで出し、今なお疑惑追及が続いています。
このような無駄の温床となり果てた公共事業は枚挙にいとまがなく、よくこれで国民暴動が起きないものだと日本人の温和な国民性に感心してしまいます。
これらのずさんで無駄の温床となる公共事業に共通するのは、【長期間】におよぶ【大規模予算事業】です。
事業が長期化することにより、当初に想定されない事態がたくさん出てくることになり、また新たな技術や制度もどんどん生れてきます。
すでに事業が可決され、進んでいることを錦の御旗に、あとは言い値の追加予算つけ放題、予算規模が大きいことから縦横無尽に中抜き業者が横行し、中抜きし放題の構図が前述のような悲惨な事業結末に導いてくれます。
そういった国民の常識的に理不尽な公共支出は、見た目は法順守された手続きを経ているため、どんなにずさんな遣い方をしたとしても、その責任が問われるようなケースはほとんどありません。
水膨れ予算と中抜きテクニックに関しては、それをしたい人たちの理論、手続き方法が確立しており、よほど詳細に監視しておかない限り、防ぐことはできません。
そのような事態を防ぐためには、【そもそも大規模予算をつけさせない、長期化させない】ことが必要です。
翻って、本件交通ビジョンについて考えてみれば、当初、近江鉄道の赤字補填から始まった話が拡大し続け、まさしく、不必要に事業が拡大化され、県全域を巻き込む事業規模となっております。
そして相応の大規模予算を長期にわたって運用していく流れになっています。
現在の滋賀県の交通事情によれば、特に公費を投入しなければならない交通網の脆弱な地域はあるものの、別段支障なく十分な交通密度を擁している地域も少なくありません。
この状況で無理やり滋賀県全体の広域計画にする必要があるのか、非常に疑問です。
そもそも赤字の路線に予算をぶち込んでも赤字が積み重なるだけであり、早晩、当初予算を水増しする議論に陥るであろうことは誰の目から見ても明らかです。
なし崩しのまま、年間数千円という触れ込みで交通税を導入するも、その後の事業焼け太りにより、すぐ数万円、数十万円になっていくことは容易に想像できます。
直間比率の見直しを理由に導入された消費税が、知らぬ間に社会保障の原資にすり替わり増税され続けていること、東北大震災で復興のためにつくられた復興税を防衛予算にすり替えようとしていることなどから、税金を取る人たちの思考は、【導入すれば勝ち】あとはその都度、好きなように解釈変更し、好きなように増税すればよい、という国民、県民、市民を舐め切った精神であることは明々白々であります。
したがって、我々県民ができることは、そのような状況に陥る前に止めることが正しい判断であると言えます。
滋賀県をよくする交通ビジョンについて反対はしません。
しかし、滋賀県全域にわたってトップダウンで事業を行い、思いどおりに結果を出すことなど現実的な政策ではありません。
本当に思いどおりに進むと思っているのであればそれは妄想です。
それぞれの地域で、それぞれの自治体、住民が自由に経済活動を行い、成長できる環境をつくるのが本来の政治の仕事であると思います。
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